葉山インターナショナルスクール

No. 03

広い視野と自信を 与えてくれた場所

岡田 光太郎 Kotaro Okada

卒業後、
Waldorf School(ハワイ)
→Aoba Japan International School(東京)
→Collège du Léman(ジュネーヴ)
→Istituto Marangoni(ロンドン)

葉⼭インターナショナルスクールを通して、⽣徒たちは国際的視点を⾝に着け、様々な⽅⾯で活躍しています。
ここではその⽣徒たちを⼀部ご紹介します。

Q1.葉⼭にはいつ⼊学しましたか?
Kotaro:私は小学校2年生の時に、今のまま公立の学校に通って自分が成長できるのかわからなくなり、インターナショナルスクールに移ろうと決意しました。私はもっと国際的で柔軟性のある学校で勉強したいと両親に言いました。そして葉山インターを見つけ、見学に来ました。葉山は小規模な学校ですが、その柔軟性や提供する機会などは素晴らしいものだと思います。
Q2. いろいろな学校に行って、何が一番大切だと思いましたか?
Kotaro: 私は合計8回以上転校していて、この経験から学べたことは国際的な環境での多文化の理解の仕方です。これが年齢を重ねるにつれ絶対的に必要になってくるものだと思います。そして、学力や偏差値は学校を選ぶ時にさほど重要なものではなくなっていると思います。国際的な視点を持つことと、他の文化の人を理解するという能力が私たちの将来に必要になってくると思います。このような能力を身につけるために最高の環境が葉山インターナショナルスクールにはあると思います。
Q3. これまでの経緯を教えてください
Kotaro: 葉山インターを卒業した後、私はハワイの私立の学校に数年行き、その後日本のインターに一年間ほど行きました。それからスイスの全寮制の学校に行きました。ここは私に言語の壁を感じさせないくらい英語力に自信をつけてくれたと思います。多くの日本人の方が英語の発音に苦しんでいると思いますが、葉山インターの先生が英語の発音に苦しんでいた私にRとLの違いを教えてくれたのをすごく良く覚えています。これはただの例ですが、このようなふうにこの学校は英語を一から教えてくれ、海外へ留学する勇気を育んでくれました。

Q4. スイスの学校に行って、今までの学校と何が違いましたか?
Kotaro: 私が中学校2年生の時にスイスの学校に移った時は、このように世界中から集まってきた多様な人々に会えると思っても見ませんでした。すごく裕福な家庭の子や厳しい家庭の子、いろいろな宗教を信じる人や混血の子など、とにかく新しいことがたくさんですごく刺激的でした。
私に取って新しい言語を学び世界中の学校に行くというのは厳しい道でもありました。これは一人ではできなかったと思いますし、両親の支えがなければできなかったと思います。この学校は、両親や家族の大切さも教えてくれたと思います。
Q5. 将来は何がしたいですか?
Kotaro : 私の夢はインターナショナルスクールの先生になることです。初めてそう思ったのは2、3年ほど前で、私の過去を見返した時に、何度も転校し、たくさんのいい先生やあまり好きになれなかった先生、尊敬できる先生などに会い、私も生徒の人生の一部になれるような先生になりたいと思うようになりました。この学校の先生方のように、生徒一人一人の人生の一部になる人が記憶に残っています。スイスの学校ではボランティアで保育園と幼稚園の手伝いや、中学校の生徒たちを教えたりしています。大学に関しては国際教養学部があり教員免許が取得できる大学に行きたいと思っています。